P3 視覚障がい者がボランティア活動を行う意義 日本パラリンピック委員会 委員長 河合純一 私にとってのボランティア活動経験 私は現在45歳です。先天的な眼の疾患で強度の弱視でしたが、15歳に病気が進行し失明してしまいました。 以来30年、見えない世界で生活をしています。 私にとって最初のボランティア体験は中学生の時に福祉施設、高齢者施設に訪問したことです。まだ視力が残っていた時のことですが、 当時は学校の行事だからという理由で参加していただけでした。 その後、自分自身が失明し、福祉サービスを受ける側になりました。 はくじょうを使っての歩行訓練、教科書や書籍などを点訳、音訳していただくなど、多くのボランティア活動によって、 視覚障がい者の教育は成り立っています。 高校生になり大学進学を考えていた私は、予備校のテキストを毎週点訳していただいていました。 そのかいもあって、大学に合格し、自分の将来への道がひらけていきました。 ボランティアとは私にとって、受けるものという概念が自然と形成されていきました。 ボランティアはできるか、できないかではない! 私は大学卒業後、地元静岡県の公立中学校の教員として着任しました。 教育活動の中では、ボランティア活動が用いられていました。 学校現場に総合的な学習の時間というものが導入されようとしている時期でした。 生徒たちにボランティア活動を呼びかけつつ、私自身にはなにができるのだろうかと自問自答していました。 そして、1つの答えを得ました。 それはシドニーパラリンピックで、400メートルメドレーリレーで世界新記録を出して金メダルを獲得したことが大きく影響しました。 私が教員として教育活動をしている対象は、視覚に障がいのない生徒たちで、私と同じように視覚障がいじに自らの経験を伝える機会がありませんでした。 自らが得意な水泳指導を通じて、視覚障がいじ、生徒たちの役に立つことができるのではないかと考えるに至りました。 恩師や仲間たちと協力して、視覚障がいじを対象とした水泳教室のボランティアを始めました。 毎年1回、全国から子供たちが集まり、水の楽しさや泳ぎの技術を習得していきました。それはとても不思議な感覚でした。 ボランティアをする側の自分のもてる力を生かすことができたという有用感と参加者たちの笑顔に見られる充実感、 ボランティア活動とはそういった相互作用によって成り立っているのではないかということに気づくことができました。 2006年には国際協力機構(JICA)青年海外協力隊の一員として、マレーシアに短期派遣され、地元の視覚障がいじたちへの水泳教室も開催しました。 東日本大震災後には、岩手県の盲学校での水泳教室も行いました。 視覚障がい者にとってのボランティア活動への障壁(バリア)とその向こう側 視覚障がい者がボランティアに参加するには、自分たちにもできることがあるという有用感を持つことが重要ではないかと思います。 障がい者はボランティアを受ける側であるという社会の認識、障壁を乗り越える必要があります。 その大きな障壁除去を促進するために、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のボランティアアドバイザー、 ボランティア検討委員会の委員として、各種会議に出席しながら、意見を述べ続けてきました。 基本的な考え方は、だれもがボランティアをやりたいと思ったら、参加できる社会を目指していくこと、 それは東京ニーゼロニーゼロ大会の基本コンセプトの1つである「多様性と調和」を推し進めていくためには避けては通れないと考えていたからです。 史上最大規模のスポーツボランティア活動を作り出し、それをレガシーとしていける仕組みをどのように構築していくのか、とても大きな問題でした。 実際にボランティア(フィールドキャスト、シティキャスト)に登録をしてもらった視覚障がい者の方々に事前の各種イベント等でボランティア活動に参加いただき、 その課題を洗い出しながら、マニュアル化を試みました。 作業はそもそも視覚障がい者と接した経験が乏しいボランティアの方々と相互理解から始まりました。 障がいがあってもできること、時間はかかるができること、さすがに難しいことなどを見極めていくと、 少しは時間がかかったとしてもできることが多くあることに気づきました。 この気づきはとても大きなものでした。 社会が効率性ばかりを重視して、切り捨ててきてしまっていたかもしれない労働力を再認識することにもなったと考えています。 ボランティアという世界の中でだけ「多様性と調和」が実現できたとしても、意味はありません。 ここで経験した10まんにん以上の方々が地域社会や職場でもダイバーシティをけん引する役割を担っていただきたいです。 ダイバーシティには社会を進化発展させる力があります。 効率性だけでものごとを判断していては、ダイバーシティは停滞してしまいます。 東京オリンピック・パラリンピックのボランティア活動を通して、 我々の生活している社会は多様性に満ち溢れた社会なのだということに気づくきっかけにしていただきたいと願っています。